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詩と思想のあいだで──器をつくるということ

更新日:9月10日

朝日が差し込む木のテーブルに、白練の脚付きカップが二つ重ねられている。

器に込めた、静かな思想


器は、見た目だけでも、使いやすさだけでも、どこか片手落ちだと思うのです。

触れたとき、ふと心がほどけるような。

目に見えないところにまで、手が届いていると感じるような。

そんな器を、静かに、でも確かに、目指しています。



形と機能、美しさの交差点で

私のつくる器には、ヨーロッパのアンティークの面影があります。

でも、それをそのままなぞるのではなく、日本の暮らしの中にすっと馴染む

形と機能性を重ねていきます。


手に持ったときの重みや、口当たりのやさしさ。

朝の光の中で浮かぶフォルムの輪郭。

すべてに「これでいい」と思えるバランスを探って、土と向き合っています。



土に宿る、陶器のぬくもり


土は、自ら調合したもの。

少し粗く、粒が感じられるものを選びました。

そのざらつきが、陶器らしい温かみを生むからです。


焼きあがった器は、一般的な陶器よりも割れにくく、

日々の暮らしの中でも気兼ねなく手に取っていただける強さがあります。


粗い土を整えるには、思っている以上に時間がかかります。

でも、その手間こそが、表情になる。私はそう信じています。



誤魔化さないという選択


象牙色の表面にかけているのは、透明の釉薬です。

あの柔らかな色は、土そのものの白さ。

釉薬の白ではないのです。


この土の表情を隠したくなかったから、透明釉を選びました。


けれど、その選択は同時に、自分に対しての挑戦でもありました。

分厚い釉薬なら隠せてしまう微細な凹凸も、誤魔化しがきかない。

だからこそ、細かな削りや表面の仕上げには、極端なほど時間をかけています。


ほんのわずかな荒さも残せない。

それでも、この“透ける器”をつくりたかったのです。


そして「砂金色」は、錆びた金属を思わせる、深い金のような色。

使うほどに艶が増し、どこかアンティークのような風合いが育っていきます。


《ラトン》は、私にとって特別な存在です。

技術と集中力が必要な工程を重ねてようやく形になる、象徴的な器。

手の中で、時間を重ねていくごとに、その意味が深まっていくはずです。



静かな感性を耕す日々


制作の傍らで大切にしているのは、静かな感性を耕す時間。


古い器を日々の暮らしで使うこと、

レトロな建築や美術館に足を運ぶこと、

季節の花や自然にふと目をとめること。


そんな“好きなもの”から受けた小さな刺激が、いつの間にか作品ににじんでいる気がします。


器とは、生活の中にそっと寄り添いながら、ときに心を深呼吸させてくれるもの。

そして、たまに非日常へと連れ出してくれるもの。


どうかあなたの手の中でも、そんな存在になれたら嬉しいです。


コメント


​ 森 ト 庭 ト

 -utsuwa kobako-

      


Matsuzawa,Kato-shi,Hyogo
 

utuwakobako@gmail.com

​陶芸家・竹口要(たけぐちかなめ)の公式サイト。兵庫県の工房「森ト庭ト-utsuwakobako-」より、器のある静かな暮らしをお届けします。

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© 2018  森ト庭ト

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